ハイメ・アジョンと九谷焼。

こんにちは。
雨が降る毎に、少しずつ秋が近づいてきますね。


さて、デザイナー、ハイメ・アジョン。
本日は、ハイメ・アジョンがデザインした久谷焼と
そのコラボが実現されるまでの話を少し、ご紹介します。

110820_1.jpg始まりは、2009年。
「日本のものづくりはどこに向かうべきか」などの疑問に答えを示すべく、
日本の各地の職人や企業と協議し、
“今あるべき日本のものづくり”をプロデュースする丸若屋が、
世界的デザイナーのハイメ・アジョンに声をかけた。
「日本を代表する伝統工芸のひとつ、
九谷焼の窯元である上出長右衛門窯をご存知ですか。
ぜひ、あなたのデザインと、上出長右衛門窯の職人技術で、
新しいものづくりにチャレンジしたいのです。」
「ぜひ、やらせてほしい」
じつは、ハイメは2008年に、上出長右衛門窯の作品に触れ、
大いに興味をかきたてられていた。
それは、偶然にして必然のめぐりあい。

“CONNECTION -つながり-”
浮かび上がってきた、一つの言葉。
日本の文化、とくに食事の情景は、
食卓を囲む人同士や、食材や季節感の関係など、
つながりによって成り立っている。
「使う人が、それぞれのつながりを再認識できるようなうつわを作りたい」
そこから、ハイメ・アジョンと上出長右衛門窯による、日本文化のつながりを探す旅が始まる。

110820_2.jpg浅草の街並みや伝統芸能はもちろん、金沢市の魚市場、会席料理から老舗の蕎麦屋まで・・・。
そして、旅館のお膳に並んだ多彩なうつわを前にハイメが発した、感嘆の言葉。
「なぜ、和食器はこんなにバリエーションがあるのだろう?
 そこに、日本の文化を紐解くヒントが隠されているに違いない」
最初は、カルチャーショックを隠さなかったハイメの目が、俄然、輝きを放ち始めた。

九谷焼独自の質感を活かしつつ、かつてないアイデアで職人達を驚かせ、
眠っていたポテンシャルを引き出していくハイメの才能と、
彼を信頼し、前例のない挑戦に取り組む上出長右衛門窯との、魂の交流。
新たな絆ともいうべきつながりが立ちあがっていく瞬間。
「確かめあい、気づきを重ね、時には喜び浮かれて小躍りする。
 そうやって血肉を通わせあうことでしか生まれ得ないものが、ここにある」
ハイメは異文化の中で生まれ育った。
しかし、生みだされたものたちは、嘘偽りのない”日本のかたち”として、誇り高く佇む。
上出長右衛門窯の職人たちと、その心根に触れ、
輝く笑顔で家族の一員となったハイメ・アジョン、そして、丸若屋。
ささやかなつながりからスタートした、新たな絆です。

ハイメは、オファーを受けて、1年間「九谷焼」について勉強し、愛情を込めて仕事に取り組んだ。
「売りたいとか有名になりたい!という思いでこのプロジェクトをしているのではなく、
コラボレーションすることで、伝統工芸の根絶を避け、進化させることで継続していけると思っている。」と
話しをしたそうです。


そして、彼が作り出した九谷焼は、
組み合わせると人の顔になるユニークな小鉢達(私は、福笑いを連想してしまいました)。

110820_3.jpgこんもりとした帽子のような蓋をちょこんとかぶった向付。
小鳥のくちばしから、醤油を注ぐ醤油差しなど。
見ているだけで、楽しく幸せなムードに満ちた、
今まで見たこともないような九谷焼の世界がありました。

110820_4.jpg以前から、九谷焼に興味があった私としては、
ハイメと上出長右衛門窯のコラボには、感動。

110820_5.jpg私のお気に入りの湯呑みです。

110820_6.jpg110820_7.jpg110820_8.jpgぐい飲みではないですよ(笑)。
お湯呑みです。
まだまだ、ハイメの魅力をお伝えしますね。